銀座HINA矯正歯科

すべての女性のためにより美しく、より安全に。

院長ブログ

院長のプライベートの出来事や考えていること、医療に対する想いなどを気ままに書き綴っています。


自分の体を誰にまかせるのか・・・2018.05.22

自分の体を誰かに託すとき、誰に託すのかを選ぶ必要があります。

何を基準に選ぶのか・・・、歴史か経験か資格か学歴か・・・。

矯正治療でも必ず、まずはカウンセリングを受け、その後に検査を受け、ようやく治療方法の説明に辿り着きます。
ただ、検査を受けるところから費用が発生するため、
歯列矯正を考える方は、カウンセリングをいくつかのクリニックで受けることも少なくありません。
ひとつのクリニックの先生の情報が正しいとは限りませんし、クリニックの雰囲気なども気になるところです。

現在ではインターネット上のホームページを含め、消費者に間違った情報や過大な広告にならないように、規制が強められています。
結果、どこも同じようなホームページの情報となり、選ぶ側には見合わけがつきづらい様になっています。
今後も規制が弱まることはなく、より厳しくなることが予想されます。 しかし、これも選ぶ側の消費者のことを考えてのことであり、
一部の病院がこれまで、 事実と異なる情報や過大となる表現をしてきたことに起因していることから、いたしかたないのかもしれません。

話を戻しますが、自分が病気になった時、クリニックを選ぶときに私が重要視しているのは、自分の治療をする先生で選びます。

当たり前の様ですが、意外と実践されていません。
もちろん、はじめはホームページの内容や情報、学歴なども目にしますが、頭がいい=治療が上手いではないですから、
治療の前の段階で話を聞いて、その先生の人柄をみます。

どんなにすごいテクニックを持っていても、話のできない人や話の通じない人には自分の体を任せられません。
なぜなら、必ずと言ってよいほど、担当医とのコミュニケーションが不可欠であり、
矯正治療の様に年単位の関わりを持つものであれば尚更に重要になってくるからです。

また、治療をしてもすべての人に100%の成功はないからです。

仮に90%の成功率だったとしても、自分がその他の10%になることもあるからです。
医療だけでなく、絶対はないとすると、
もしも何かの事情で自分がその10%になったときに、それを誰に任せたかでその後の納得度が違うからです。
自分のまわりでも、あの人がそうなら・・・とか、あの人がやってこの結果なら・・・など、
自分が見込んだ人であれば、納得がいくことが少なくありません。

となると、クリニック選びは人選びであり、もしも院長の経歴やテクニック、人柄が良いのであれば、
『院長に治療をしてもらう』ということです。
クリニックによっては、規模の拡大にともない、複数の先生が勤務しているところがありますが、
初めだけ院長が出てきて、治療は別の勤務の先生ではまるで駄目だということです。

立ち返って考えてみると、ホームページでは院長の紹介、経歴などを参考にしているのに、
いざ治療となった時に、別の先生が施術することは、やはり違和感をおぼえませんか?

話をしてみて院長よりも、勤務の先生が良ければ、担当をその勤務の先生にしてもらう、それでも良いと思います。
院長で選んだのであれば院長に治療をしてもらいましょう。

すべての状況を監修しているから大丈夫ですなどと言う人は、いい加減な言い分であり、信用に値しません。

矯正治療は、かなりの配分で担当の先生のテクニックが成功の鍵を握ります。
ちょっとした力の加減や違和感を見つけられるか、とても繊細なものの積み重ねで、治療期間や結果に影響を及ぼします。

クリニックによっては、通常は国家資格のある歯科衛生士が先生のアシスタントにつきますが、
何の資格もない歯科助手が平然と患者さんの治療やクリーニングで口の中で器具を扱っている現状があります。

この雇用をしているのも、院長の考えです。

また余談ですが、以前テレビ番組で大学生になったはいいが、将来何になりたいかが分からない人へ、
アドバイスをしている場面がありました。
「自分が何がやりたいかがわからないとき、信じられる人、尊敬できる人のもとで働きなさい。
その人のもとでならば、自分を見失わないはずだ」というものでした。

ものを選ぶとき、情報があふれている状況で、確認しておいた方がよいことは、最後は「人」だということです。
すべてがカウンセリングでわかるとは思いませんが、初めの感覚で過大なことや偏った考えではないか、
自分に何か起こった時のことも多少考えたうえで、 誠実に対応してくれるのかなど、
人を見る目を大切にされると間違いは少ないのではないかと思います。

餅は餅屋・・・専門とは・・・2017.05.10

先人たちの言葉には、ことわざや迷信、言い伝えなど興味深いものが多くあります。
それは、何かしらの意味で現代でも通ずることがあると思います。

世の中にはいろいろな専門分野があります。
自分たちの職業、単純にサラリーマンやOLといっても、
それぞれの会社に金融や建設などの分野があり、やっている内容は会社ごとに違います。
当たり前の様ですが、これをもう少し小さい視野で見てみても、同じ会社でも部署ごとに更に、分担がなされています。
「これはここの管轄ではないから、他にお願いをして」と言うようなことはよくある話です。

これを広い意味で「専門」と言います。

家電量販店のビックカメラでさえ、テレビ・洗濯機・エアコンなど製品ごとに係の人が決まっており、より詳しい説明が聞けます。
では、「歯科」という分野に置き換えてみましょう。
会社を歯科とするならば、部署が矯正・口腔外科・小児歯科などがそれにあたります。
もしも矯正治療をするならどこですればよいのでしょうか?
近所の歯科医院にはよく看板に一般歯科・小児歯科・歯周病、審美歯科、予防歯科、インプラントなど
様々な表記の中に矯正歯科も当然の様に入っています。

ここで、あれ???っと思ってほしいんです。

矯正治療には大学を出た後に、その習得にかなりの時間をかけて勉強し、技術を身につける必要がある分野であるということを。

もしも、心臓が悪ければ、はじめは総合のクリニックで診てもらったとしても、
しっかり見てもらうためには心臓の専門医に治療してもらうと思います。
お医者さんでも、眼科医に心臓手術は任せませんし、そこは分担、専門分野があるということです。

要するに、矯正治療を専門の歯科医以外に任せて、いい治療が受けられるはずがないということです。

専門のクリニックがあるということは、その分野において、考えていることや費やしている時間、
それにまつわる問題への遭遇とその対処、経験値が全く違うということです。
それを考えると、月に1、2回しか来ないバイトの矯正医も注意が必要です。
よくカウンセリングに来られた方から「クリニックによって言われることが違う」という意見があります。
何が正しいのかわからないと・・・。そんな時は経験を積んだ専門の人に意見を求めるのが正解ですよね。

最後に「裏側矯正治療は矯正の中でも、更に専門性が高い分野であり、専門のクリニックで行うことに間違いがない」ということです。

「なんでも屋」は広く浅く、「専門家」は狭く深くです。

可不可2017.01.06

為せば成る為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり

 

「できないこと」

世の中には意外に多く自分ではどうしてもできないことがあります。それは他人の力をかりても困難なこともあります。

事柄によって、それは本当にどうしようもなく、それだけにとらわれるととても暗い気持ちになります。

 

「できること」

これは自分さえ望めば、それを手にできるチャンスが生まれ、本人の意思だけあれば理想に近づくことが出来きます。

あきらめてしまえば、それまでですが、自分で決められる「できること」はとても素晴らしく

自分で自分を変えられるチャンスだということです。

 

また、自分の問題は「できないこと」だからと思われている人も、今ある問題は本当にできないことですか?

モノの見方や考え方を少し違った目線で見てみると、

もしかしたら今「できない」と思っていることも、「できること」かもしれません。

 

「できる」か「できない」か、それを決めているのは実は自分かもしれません。

笑うということ2016.01.27

笑顔の美しい女性はとても魅力的です。

 

しかし、人はどうして笑うのでしょうか?

 

楽しいとき、気分のよいとき、口角が上がり歯が見えます。

何も考えていません、自然と表れます。

 

では、笑顔のはじまりを考えたことがありますか?

 

純粋に笑う行動は人間のみの行動です。

以前、外国でオオカミに育てられた女の子の話を聞いたことがあります。

人に保護されるまで生きていられたことが奇跡ですが、

その子は立つことはなく、4つ足で動きまわっていたそうです。

 

そして、笑うこともなかったと・・・。

 

笑顔の発生の一説にこうありました。

「争いを避けるため」

動物は縄張り争いや繁殖行動の際、争いが避けられません。

その度ごとに、体が傷つきます。

そのため、動物は少しでも自分から争いを避ける方法を考えます。

その一つが威嚇(いかく)です。

威嚇の際に、動物は歯を見せます。

それにより争いを避けられると知ったからです。

 

これが人の場合、進化していき、コミュニケーションツールとなったのだと・・・。

笑顔は威嚇から形を変え、相手との関係づくりへと変化したようです。

 

笑顔の素敵な女性は美しいと思います。

その笑顔が歯並びを気にして隠しているとしたら・・

 

世の中には自分ではどうにもならないことが多くありますが、

これはその中の自分で何とかなることの一つです。

 

一歩踏み出す勇気はとてもハードルが高いかもしれませんが、

少しのことでハードルが下がることもあります。

 

私は頑張る方を応援します。

喜んでもらえることが、この仕事のやりがいになっています。

その目的のために、いろいろ考え、治療をします。

まずは一歩目からですね。

聖この夜2015.12.02

気付けばもう12月。早いもので、もう2015年も終わろうとしています。
12月になると、街は様々なイルミネーションに彩られます。

昔、自分が小さいときに家のクリスマスツリーを飾るときも、
ピカピカの電飾や小さな飾り付けにワクワクしたものです。

普通に身の回りにあるものは、考えなければ目に入って終わりですが、
ふと考えてみると説明に困ることも多くあります。

クリスマスツリー。
数多くある木の中で伝統的にもみの木です。
なぜかと言うと、もみの木の枝は十字架のように広がっているので
「聖なる緑の木」といわれ、また冬でも葉を落とさないため、
永遠の命の象徴として使われたようです。

また、クリスマスツリーの飾り付けについては、
昔デンマークのある村で、1本の不思議な力を持つ木があり、
願い事があるとリンゴなどをその木につるして祈りを捧げていたという話があるようです。
そしてそのうちに木は神様への捧げ物でいっぱいになり、
現在のクリスマスツリーの始まりとなったと言われています。

そろそろ皆さんもクリスマス通になってきたのではないでしょうか?

最後に私が常々疑問に思っていた「クリスマス・イブ」についての疑問です。
クリスマス・イブはクリスマス当日よりも一般的に色々な催事があったりして
盛大だと思いませんか?
クリスマス・イブは、クリスマスの前夜祭だと思っていました。
前夜祭が盛大なら、当日の夜はもっと盛大になりそうなものなのに・・
なんて思っているのは私だけでしょうか?
そんなちょっとした疑問が調べてみて、ようやくクリアになりました。
それは、もともとキリスト降誕当時のユダヤの暦では、
日が暮れると日付が変わったらしいのです。
ですから25日を降誕の記念日とするなら、24日の日が暮れたらもう当日で、
クリスマス・イブは前夜祭ではなく、まさにクリスマス当日の夜であり、
そのため世界中の教会がこの時間に礼拝を献げるらしいのです。

気づけばこんなにクリスマスについてお話しちゃいました。
一年も早いですが、時間がすぎるのはあっという間ですね。
矯正についてのお話も忘れるくらい・・・。

院長のカルテ

院長のプライベートの出来事や考えていること、
医療に対する想いなどを気ままに書き綴っています。


2018.05.22

自分の体を誰にまかせるのか・・・

自分の体を誰かに託すとき、誰に託すのかを選ぶ必要があります。

何を基準に選ぶのか・・・、歴史か経験か資格か学歴か・・・。

矯正治療でも必ず、まずはカウンセリングを受け、その後に検査を受け、ようやく治療方法の説明に辿り着きます。
ただ、検査を受けるところから費用が発生するため、
歯列矯正を考える方は、カウンセリングをいくつかのクリニックで受けることも少なくありません。
ひとつのクリニックの先生の情報が正しいとは限りませんし、クリニックの雰囲気なども気になるところです。

現在ではインターネット上のホームページを含め、消費者に間違った情報や過大な広告にならないように、規制が強められています。
結果、どこも同じようなホームページの情報となり、選ぶ側には見合わけがつきづらい様になっています。
今後も規制が弱まることはなく、より厳しくなることが予想されます。 しかし、これも選ぶ側の消費者のことを考えてのことであり、
一部の病院がこれまで、 事実と異なる情報や過大となる表現をしてきたことに起因していることから、いたしかたないのかもしれません。

話を戻しますが、自分が病気になった時、クリニックを選ぶときに私が重要視しているのは、自分の治療をする先生で選びます。

当たり前の様ですが、意外と実践されていません。
もちろん、はじめはホームページの内容や情報、学歴なども目にしますが、頭がいい=治療が上手いではないですから、
治療の前の段階で話を聞いて、その先生の人柄をみます。

どんなにすごいテクニックを持っていても、話のできない人や話の通じない人には自分の体を任せられません。
なぜなら、必ずと言ってよいほど、担当医とのコミュニケーションが不可欠であり、
矯正治療の様に年単位の関わりを持つものであれば尚更に重要になってくるからです。

また、治療をしてもすべての人に100%の成功はないからです。

仮に90%の成功率だったとしても、自分がその他の10%になることもあるからです。
医療だけでなく、絶対はないとすると、
もしも何かの事情で自分がその10%になったときに、それを誰に任せたかでその後の納得度が違うからです。
自分のまわりでも、あの人がそうなら・・・とか、あの人がやってこの結果なら・・・など、
自分が見込んだ人であれば、納得がいくことが少なくありません。

となると、クリニック選びは人選びであり、もしも院長の経歴やテクニック、人柄が良いのであれば、
『院長に治療をしてもらう』ということです。
クリニックによっては、規模の拡大にともない、複数の先生が勤務しているところがありますが、
初めだけ院長が出てきて、治療は別の勤務の先生ではまるで駄目だということです。

立ち返って考えてみると、ホームページでは院長の紹介、経歴などを参考にしているのに、
いざ治療となった時に、別の先生が施術することは、やはり違和感をおぼえませんか?

話をしてみて院長よりも、勤務の先生が良ければ、担当をその勤務の先生にしてもらう、それでも良いと思います。
院長で選んだのであれば院長に治療をしてもらいましょう。

すべての状況を監修しているから大丈夫ですなどと言う人は、いい加減な言い分であり、信用に値しません。

矯正治療は、かなりの配分で担当の先生のテクニックが成功の鍵を握ります。
ちょっとした力の加減や違和感を見つけられるか、とても繊細なものの積み重ねで、治療期間や結果に影響を及ぼします。

クリニックによっては、通常は国家資格のある歯科衛生士が先生のアシスタントにつきますが、
何の資格もない歯科助手が平然と患者さんの治療やクリーニングで口の中で器具を扱っている現状があります。

この雇用をしているのも、院長の考えです。

また余談ですが、以前テレビ番組で大学生になったはいいが、将来何になりたいかが分からない人へ、
アドバイスをしている場面がありました。
「自分が何がやりたいかがわからないとき、信じられる人、尊敬できる人のもとで働きなさい。
その人のもとでならば、自分を見失わないはずだ」というものでした。

ものを選ぶとき、情報があふれている状況で、確認しておいた方がよいことは、最後は「人」だということです。
すべてがカウンセリングでわかるとは思いませんが、初めの感覚で過大なことや偏った考えではないか、
自分に何か起こった時のことも多少考えたうえで、 誠実に対応してくれるのかなど、
人を見る目を大切にされると間違いは少ないのではないかと思います。

2017.05.10

餅は餅屋・・・専門とは・・・

先人たちの言葉には、ことわざや迷信、言い伝えなど興味深いものが多くあります。
それは、何かしらの意味で現代でも通ずることがあると思います。

世の中にはいろいろな専門分野があります。
自分たちの職業、単純にサラリーマンやOLといっても、
それぞれの会社に金融や建設などの分野があり、やっている内容は会社ごとに違います。
当たり前の様ですが、これをもう少し小さい視野で見てみても、同じ会社でも部署ごとに更に、分担がなされています。
「これはここの管轄ではないから、他にお願いをして」と言うようなことはよくある話です。

これを広い意味で「専門」と言います。

家電量販店のビックカメラでさえ、テレビ・洗濯機・エアコンなど製品ごとに係の人が決まっており、より詳しい説明が聞けます。
では、「歯科」という分野に置き換えてみましょう。
会社を歯科とするならば、部署が矯正・口腔外科・小児歯科などがそれにあたります。
もしも矯正治療をするならどこですればよいのでしょうか?
近所の歯科医院にはよく看板に一般歯科・小児歯科・歯周病、審美歯科、予防歯科、インプラントなど
様々な表記の中に矯正歯科も当然の様に入っています。

ここで、あれ???っと思ってほしいんです。

矯正治療には大学を出た後に、その習得にかなりの時間をかけて勉強し、技術を身につける必要がある分野であるということを。

もしも、心臓が悪ければ、はじめは総合のクリニックで診てもらったとしても、
しっかり見てもらうためには心臓の専門医に治療してもらうと思います。
お医者さんでも、眼科医に心臓手術は任せませんし、そこは分担、専門分野があるということです。

要するに、矯正治療を専門の歯科医以外に任せて、いい治療が受けられるはずがないということです。

専門のクリニックがあるということは、その分野において、考えていることや費やしている時間、
それにまつわる問題への遭遇とその対処、経験値が全く違うということです。
それを考えると、月に1、2回しか来ないバイトの矯正医も注意が必要です。
よくカウンセリングに来られた方から「クリニックによって言われることが違う」という意見があります。
何が正しいのかわからないと・・・。そんな時は経験を積んだ専門の人に意見を求めるのが正解ですよね。

最後に「裏側矯正治療は矯正の中でも、更に専門性が高い分野であり、専門のクリニックで行うことに間違いがない」ということです。

「なんでも屋」は広く浅く、「専門家」は狭く深くです。

2017.01.06

可不可

為せば成る為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり

 

「できないこと」

世の中には意外に多く自分ではどうしてもできないことがあります。それは他人の力をかりても困難なこともあります。

事柄によって、それは本当にどうしようもなく、それだけにとらわれるととても暗い気持ちになります。

 

「できること」

これは自分さえ望めば、それを手にできるチャンスが生まれ、本人の意思だけあれば理想に近づくことが出来きます。

あきらめてしまえば、それまでですが、自分で決められる「できること」はとても素晴らしく

自分で自分を変えられるチャンスだということです。

 

また、自分の問題は「できないこと」だからと思われている人も、今ある問題は本当にできないことですか?

モノの見方や考え方を少し違った目線で見てみると、

もしかしたら今「できない」と思っていることも、「できること」かもしれません。

 

「できる」か「できない」か、それを決めているのは実は自分かもしれません。

2016.01.27

笑うということ

笑顔の美しい女性はとても魅力的です。

 

しかし、人はどうして笑うのでしょうか?

 

楽しいとき、気分のよいとき、口角が上がり歯が見えます。

何も考えていません、自然と表れます。

 

では、笑顔のはじまりを考えたことがありますか?

 

純粋に笑う行動は人間のみの行動です。

以前、外国でオオカミに育てられた女の子の話を聞いたことがあります。

人に保護されるまで生きていられたことが奇跡ですが、

その子は立つことはなく、4つ足で動きまわっていたそうです。

 

そして、笑うこともなかったと・・・。

 

笑顔の発生の一説にこうありました。

「争いを避けるため」

動物は縄張り争いや繁殖行動の際、争いが避けられません。

その度ごとに、体が傷つきます。

そのため、動物は少しでも自分から争いを避ける方法を考えます。

その一つが威嚇(いかく)です。

威嚇の際に、動物は歯を見せます。

それにより争いを避けられると知ったからです。

 

これが人の場合、進化していき、コミュニケーションツールとなったのだと・・・。

笑顔は威嚇から形を変え、相手との関係づくりへと変化したようです。

 

笑顔の素敵な女性は美しいと思います。

その笑顔が歯並びを気にして隠しているとしたら・・

 

世の中には自分ではどうにもならないことが多くありますが、

これはその中の自分で何とかなることの一つです。

 

一歩踏み出す勇気はとてもハードルが高いかもしれませんが、

少しのことでハードルが下がることもあります。

 

私は頑張る方を応援します。

喜んでもらえることが、この仕事のやりがいになっています。

その目的のために、いろいろ考え、治療をします。

まずは一歩目からですね。

2015.12.02

聖この夜

気付けばもう12月。早いもので、もう2015年も終わろうとしています。
12月になると、街は様々なイルミネーションに彩られます。

昔、自分が小さいときに家のクリスマスツリーを飾るときも、
ピカピカの電飾や小さな飾り付けにワクワクしたものです。

普通に身の回りにあるものは、考えなければ目に入って終わりですが、
ふと考えてみると説明に困ることも多くあります。

クリスマスツリー。
数多くある木の中で伝統的にもみの木です。
なぜかと言うと、もみの木の枝は十字架のように広がっているので
「聖なる緑の木」といわれ、また冬でも葉を落とさないため、
永遠の命の象徴として使われたようです。

また、クリスマスツリーの飾り付けについては、
昔デンマークのある村で、1本の不思議な力を持つ木があり、
願い事があるとリンゴなどをその木につるして祈りを捧げていたという話があるようです。
そしてそのうちに木は神様への捧げ物でいっぱいになり、
現在のクリスマスツリーの始まりとなったと言われています。

そろそろ皆さんもクリスマス通になってきたのではないでしょうか?

最後に私が常々疑問に思っていた「クリスマス・イブ」についての疑問です。
クリスマス・イブはクリスマス当日よりも一般的に色々な催事があったりして
盛大だと思いませんか?
クリスマス・イブは、クリスマスの前夜祭だと思っていました。
前夜祭が盛大なら、当日の夜はもっと盛大になりそうなものなのに・・
なんて思っているのは私だけでしょうか?
そんなちょっとした疑問が調べてみて、ようやくクリアになりました。
それは、もともとキリスト降誕当時のユダヤの暦では、
日が暮れると日付が変わったらしいのです。
ですから25日を降誕の記念日とするなら、24日の日が暮れたらもう当日で、
クリスマス・イブは前夜祭ではなく、まさにクリスマス当日の夜であり、
そのため世界中の教会がこの時間に礼拝を献げるらしいのです。

気づけばこんなにクリスマスについてお話しちゃいました。
一年も早いですが、時間がすぎるのはあっという間ですね。
矯正についてのお話も忘れるくらい・・・。